母とともに立った日々の記録(2)
全11回に分け、週1回を目途に掲載していきます。
第2話 憲子ちゃんが男やったら
わたしの父は旧制中学を卒業し予科練を経て終戦を迎え、帰郷してからは運送業を皮切りに数名の従業員を抱える自営業主でした。父の最初の市議選はわたしが1歳のときだったそうです。その後、小学4年の時に3期目の市議選、6年生の時が最初の市長選(落選)でした。中学1年で4期目の市議選、中学3年の時は2度目の市長選(当選)。なんと6年間に4回の選挙。
ずっとわたしが預けられた祖父母宅も落ち着かなかったし、まるで選挙にのぼせているような父が嫌いになるばかりでした。
父嫌いの理由は他にもありました。自分の収入を家へ入れないのです。これだけ立候補を繰り返すのですから、すべて準備に使い果たしていたのでしょうが、母は、お金の苦労が絶えませんでした。それに持病があり、ストレスも重なって、臥せていることが時折ありました。
母は仕事(学校事務県職)、子育て、家事、選挙の3刀流、4刀流で大変だったはずです。父が市長になっても、勤めは辞めませんでした。いや、止められなかったのです。父から給料もしくは報酬なり手当をもらったことがありませんでした。まるで「経済的DV」のような話ですよネ。その母に認知症状が出始めたころから「自分は高ちゃん(父のこと)から給料をもろうたことがない」が口癖になりました。
他方、父は市長2期目の1982(昭和57)年、腺がんのため55 歳で亡くなりました。母が50 歳、わたしが20 歳。市政は問題山積。いや、事態はむしろ深刻化するばかり。難しい市政の舵取りの最中、あっけない別れになりました。
母は「こうしなさい。ああしなさい」というタイプではありませんでした。ただ、「職を持ちなさい」「自分の道を歩いていいとやが」と何度か言い聞かせていました。わたしは、一人で生きるにしても、パートナーと生きるにしても、母がそうであったように、まず経済力を身につけなさいということなんだ、と受け止めていました。
6歳年下の弟は知的障がいがあり、発達の遅れが明らかになるにつれ、周囲から「憲子ちゃんが男やったら……」と言われるようになりました。町議で町長選にも立ったことのある祖父の地盤を、ある程度引き継いでいた父が、それなりに力をつけ支持者も増えていたので、いっそう「惜しかったなぁ」となったのでした。
ですが、何も知らないふりをしてきたわたしが、そこに障がい者や女性に対する二重、三重の差別・偏見を敏感
に感じてきたのは当然です。
そして、ジェンダー(社会的・文化的・歴史的につくられる性差)に関する学習を通して、「個人的な問題とされてきたことも、実は、社会、構造の問題を個人に背負わせていることがしばしばある」という重要な事実を知りました。
わたしは短期大学を卒業後、いったん会社勤めをし、その後、旧山田市役所職員になりました。行政職員として勤務した37年のうち23 年は、相談業務を通して直接、市民の日々の暮らしに関わってきました。合併事務を含む生活支援10 年、認知症高齢者の地域や家族からの相談、高齢者の虐待を含む総合相談6年、そして退職前の7年間は、ジェンダー平等を推進する男女共同参画推進課(課長)へ異動となりました。職員としての総決算の場を与えられたと身が引き締まりました。というのも、この課はDV(配偶者等からの暴力)の相談を担う部署でもあったからです。
相談業務は、法的根拠を基に多分野が縦割りで仕事をしていました。しかし、市民の生活は法的なくくりで成り立つものではありません。生活支援が必要なケースの裏面に暴力があったり、認知症高齢者への陰湿な虐待、経済的搾取があったり、その背後にDV が絡んでいるケースも稀ではありませんでした。
また、DV の加害者が、幼少のころは虐待の被害者であったり、加害者が誤ったパワーであることを認識できないまま相手をコントロールしていたり、本人自身が偏った家族観や価値観で辛い思いを抱え込んでいるケースにも出会いました。加害者のゆがんだ家族観や価値観は、いわゆる個人が形成したのではなく、社会がそう認識させた面もあるのです。
新型コロナ・ウイルス禍は、弱い立場の市民が、より追い詰められていく社会のひずみを顕著に表しました。最たるものは「生理の貧困」問題でした。予算上の措置は難しかったのですが、働きかけによって、寄付金を充当することで話がつきました。これも当事者の女性が声を届けなければどうなっていたか分かりません。
付記
「生理の貧困」とは、経済的な理由などで女性(女の子を含む)が生理用品を購入できない状態を言います。十分な備えがないので外出を控えたり、学校を休んだり、女性の社会進出に対する機会損失や、教育の保障にも支障をきたしてきました。国内ではコロナ禍でようやく顕在化し、海外のように「人としての尊厳や人権に関わる大きな問題」という認識が一気に広がり、各地で対策が進められています。