母とともに立った日々の記録(4)
全11回に分け、週1回を目途に掲載していきます。
第4話 まわりに教えてもらいながら準備
初歩的な話で恐縮ですが、わが国で選挙運動は、極めて短い期間しか出来ません。嘉麻市議選であれば、選挙カーで名前を連呼できるのは7日間にとどまります。それ以外の活動は、都道府県選挙管理委員会に届け出た後援会組織が支持拡大を目指して日常的に行います。つまり、立候補するには「後援会」(名称は自由)が欠かせないことになります。
◎準備期間は1年弱◎
春の統一選は2023(令和5)年4月――。市議選まで1年弱。どう挑むか、まず、一番身近な親戚でもある友人夫婦に相談しました。再任用職員の退職時期と後援会事務所の開設場所の決定、そして、「何のために議員になり、嘉麻市をどうしていきたいのか」という≪核心≫を整理し、「ジェンダー平等や人権を打ち出す」「旧来型の選挙はしない」「若い人たちに関心を持ってもらえるようにしよう」という点で一致し、無所属で出ることにしました。わたしにも「後戻りしない! GO !」のスイッチが入りました。
後援会長には、障がいを抱えたメンバーのミュージック・サークルの指導者であり、わたしの高校時代の同級生だった女性にお願いしました。振り返ると、会長選びと後援会の体制づくりが最も難しく、気をもみました。
事務所の開設場所については、後援会の世話人のお願いに回っていると、さまざまな意見、助言が出ました。「商店街の空き店舗を利用しては」「先々を考えると数台分の駐車場が欠かせない」「プレハブの事務所は案外費用がかかる」等でした。
商店街にいい物件があったのですが、借り物では気が休まらないような感じがして、築後30 年の自宅を改修して事務所を設け、駐車スペースを広げました。そして再任用職員を2022(令和4)年10 月末で辞め、名刺やリーフレット作成などに取り掛かりました。
◎2週間ごとに世話人会◎
事務所では、この年の10 月20日から通称「世話人会」を2週間に一度の割合で開き、わたしが後援会活動の状況報告をし、世話人が意見を述べ、これからの進め方を議論しました。選挙告示前の4月6日には「全体会議」と称して、ポスターの「貼り手さん」、選挙期間中の事務所当番、電話番、選挙カーの運転者、アナウンス担当者(通称「ウグイスさん」)ら25 人前後集まってもらい、協力をお願いしました。4月23 日投票終了の3日後、15 回目の世話人会で選挙期間中の経費の説明を行い、以降は開催していません。
ただ、世話人会のグループライン上での情報共有、相談は細かくやっています。携帯のスマホのラインは有効なツールです。他の事務所でも活用されたと思いますが、選挙ポスターの番号周知手段としては優れものです。選挙運動、政治活動、後援会活動にSNS の活用は必須です。
最後の世話人会では、議会内での自分の立ち位置についても協議しました。と言うのも、法に基づく臨時市議会で議長選があるからです。このたびの市議選の結果、執行部と議会の関係は、市長の施政の舵取りが難しくなる見通しとなりました。市長派が推す議員側につくのか、反市長派が推す議員側につくのか。みなさんの意見は「白票で」が大半でした。「中立を保て」という訳です。
すると、一人が「自分たちは、市長派のとか、議長派だからといって、佐伯さんを推したのではない」と発言したのです。これを聞いて、わたしは「分かりました。どっちつかずの白票は入れてはいけないので、自分の名前を書きましょう」と述べて、全員一致となりました。おかげで「議員としての第一歩」を誤らずにすみ、「迷ったらみなさんに諮る」ことをしっかり学びました。
◎ 56 日間の「朝の辻立ち」◎
有権者をはじめ積極的に市民のみなさんへ挨拶する「朝の辻立ち」は選挙の年を迎えた2月より始めました。午前7時30 分から1時間。日替わりで場所を変えるのではなく、同じ所に平日の5日間、立ち続けました。「土日も頑張れ」との意見もありましたが、寒い時期で体調も維持したくて休みを取りました。告示後も、もちろん続けました。
辻立ちの際、演説はせず、初めての「辻立ち」の朝、さっそく名刺を交換(日赤病院前の交差点で、23 年2 月1 日)
「おはようございます。いってらっしゃい、お気をつけて」と手を振り、頭を下げるだけですが、次第に認識されるようになり、手を振ってくださったり、車の窓をあけて声をかけてくださったり、名刺を出して「応援しているからね」と語りかけてくださる方も現れました。雨の日は、造りのしっかりした透明なビニール傘を用いました。
元気をもらったのが、小、中学生たちです。こちらは「見守り」活動のつもりでいたのですが、先に「お早うございます」
と言ってくれる子どもたちが多く、そのつど体が温まりました。そんな朝の辻立ちは、選挙後の「お礼」も含めて4月28 日までの平日、延べ56 日間行いました。
◎選挙は「いくさ」ではありません◎
選挙に関して「時代錯誤だなぁ」「女性や若い人が敬遠するはずだ」と感じてきたものに特異な言葉遣いがあります。祖父、父が立っていたころと、さほど変わっていない「選挙は戦(いくさ)」「合戦」「選挙戦」という認識をもとに、立候補は「出馬」で、告示日は「出陣式」。
「エイ・エイ・オ~!」と集票に突入し、事務所は「陣営」で、そこには「参謀」と呼ばれる人が……。
ですが、女性の先輩議員の方々はやはり違っていました。例えば飯塚市議の金子加代さん(2期目)は、「いくさ」を想像させる言葉はすべて使用せず、例えば「出陣式」は「出発式」と改められていました。支援者、有権者、住民とともに発進・発信するという感覚です。すぐ、まねることにしました。
わたしの場合は「事務所開き」も見送りました。問い合わせはあったのですが、「事務所兼自宅なので、あらためてする必要はない」「その経費と力をもっと意味あるものに使いたい」と考えたからです。事務所開きを見送った代わりに後援会入会の礼状(はがき)をすべてとは言えませんが、大半の方に送付させていただきました。
経緯はこうです。2022 年11 月末、わたしの政策や経歴をまとめたリーフレット(5,000 部)の配布を始めると、予想以上に入会申し込みカードが届き、いただくたびに胸が熱くなりました。最終的には約2,500 人分にもなりました。仲間たちがすぐ応援に駆け付け、整理と後援会名簿の入力作業は順調に進みましたが、あいさつ回りも、本人にお目にかかることもなかなかかなわず、そこで、はがきでの入会お礼となった次第です。
◎さぁ出発!記念写真も撮りました◎
告示日の4月16 日、出発式は嘉麻市役所山田支所の隣の公園の一角。約100 人が集まりました。面識のあるこども食堂を運営しているNPO 法人の代表者がのぼり旗を持って会場を盛り上げ、後援会長の娘さんも車いすで最前席へ。同じ時間帯、「ポスター貼り部隊」(20人)が広大な嘉麻市(135.11 平方キロ㍍、福岡県内では9番目に広い)の143 カ所の掲示場に向かっていました。初めてなさる方がほとんどで「楽しんだよ」と話されていました。
期間中、事務所や後援会役員を通していろいろ指摘が届きました。「選挙カーがすぐ行ってしまった」「手を振っていたのに、本人も、アナウンス担当さんも全然気づいていない」「声が聞こえたので農作業の手を休めて道路に立っていたけど、車から頭を下げられただけやった」との指摘には、すぐさま、選挙カーを飛ばして挨拶に出向きました。以後、家や事務所、作業所から出ている方には、停車して降り、お礼を言いました。
アクシデントもありました。選挙カーの看板のボルトが途中で緩み、ものすごい音とともに外れて、ガタガタと音がしだして、これには慌てました。山中で選挙カーの看板が木々に覆われ動けなくなったことも。全員が降りて棒切れで枝を取り除きましたが、平地から山間地まで市域の広さを実感しました。
選挙運動の最終日の朝、事務所に亡祖父母宅の近所の方々が駆けつけてくださいました。90 歳近い叔母さんや95 歳の母のいとこさんを含む、わたしの幼少期を知っておられる方もいらっしゃいました。そこで、みんなで「必ず『百寿の祝い』をします」と申し合わせて、記念撮影をしました。
◎「かな」の氏名とイメージ・カラー◎
看板、選挙公報、リーフレット、名刺などあらゆる氏名の表記は平仮名の「さえきのりこ」にこだわりました。というのも、「佐伯」は「さいき」とも口にするし、「憲子」はなかなか「のりこ」と読んでもらえません。難読なんです。そこで「子どもさんたちにも分かるように」と考えました。すると、支援者宅前を小学生が遠足で通りかかったとき、看板を見た子どもたちが一斉に「さえきのりこ、さえきのりこ」と声を出して歩いたそうです。嬉しいじゃありませんか。
看板は顔写真を入れず、平仮名の氏名のみでした。新人だから、どんな顔か想像してもらうつもりでしたが、当初はパッとしませんでした。わたしは婚姻時、「金原(かねはら)」という夫の姓を名乗っていたのです。「金原憲子」を知っている人が、「さえきのりこ」と同一人物であることが浸透せず、「顔写真が欲しかった」とあちこちから指摘を受けました。ここでも「女性は不利なのだ。職場で旧姓を使用しなかったのがまずかったかなぁ」とつい愚痴ってしまい、「選挙におけるジェンダー」を感じました。
イメージ・カラーは「パープル」にしました。「女性への暴力防止の色」だからです。看板作製時に業者さんから「この色を指定される方は少ない」と言われましたが、スタッフ・ジャンバーも、わたしの「日よけ帽子」もパープル。「(陣中)見舞い」やお祝いで頂戴した花の多くもパープルでした。「それだけパープルがみなさんに理解していただけている」とうれしくなりました。